猫箱ただひとつ

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読解モジュールを駆動させるとギャルゲーはもっと面白くなる

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*6532文字

「読解モジュール」というのは、凡庸な風景から"なにか”を掴み取ることができる心の回路のこと。

この回路を駆動できれば、どこにでもあるなんでもない普通の事柄からキラキラした宝物を持ち帰ることも可能である。

 

凡庸な風景からなにかを掴み取れる

 

凡庸な風景からなにかを掴み取れる、と言ってもピンとこないと思うのでいくつか具体例をあげていくことにしよう。

例えば、黄昏時、夕焼け空を見てあなたは何を思う? どう感じる? ふつうならば「赤いね」とか「ただの夕焼けじゃん」と思うかもしれない。

けれど、読解モジュールが駆動しているとそういった「どこにでもある風景」が「きらきら」したべつの何かに移り変わっていく。

中二病でも恋がしたい!』で勇太が夕焼けをさして、語る様子はそれを表していると思っている。

「毎日見ているからあんまり思わないけどさ 空が真っ赤になるってすごいよな あんな火の玉みたいなのが消えて真っ暗になるって
考えてみるとすごいよな 」


――中二病でも恋がしたい(勇太)


そう毎日見ていると新鮮だと感じなくなってしまう。ありふれたものだと思って、価値がないものだと評価を下してしまう。でも実はそうじゃないとしたらどうだろう? 

この世界には"わかってる"と思っていても、突き詰めてみるとぜんぜん分からないものであふれている。一見それは理解可能とおもいきや理解不能だったなんてことでいっぱいだ。

でもそのことを頭ではなく、心で気づくのはなかなか難しい。

 

リュウシさんにとって、神秘って何?」
「こうしてることです!!」

「目で何かを見たり、耳で聞いたり、口で何かを言ったり…みんな不思議だなぁって思うの。 仕組みってさ、理科とかで習うけど、正直、全然実感わかないし。それから普段使っている物とかも、電話の仕組みなんて全然知らないもん。そう考えると、分かってることいくつあるのかなぁ?って。

でも、ちゃんとなぜか生きてられるの。
神秘が組み合わさって、私を生かしているんだなぁって。」


――電波女と青春男(真、流子))

 
私もまたテレビがなぜ映像を表示させることができるのか謎だし、自分が"立った"り"走った"りすることもとても不思議なことのように思う。

ボールを手でつかみ、狙った的に正確に"投擲"することも考えてみれば奇妙だとさえ感じるし、だって、手と腕の筋肉だけでバスケットボールをゴールに入れ込んだり、フォークやカーブを自在に投げられるのは神秘的じゃないか。

科学的に説明されれば理解はできるが、納得はできないかもしれない。りゅーしさんが言っているのは無知の知であり、世界はいまだに謎で、ワクワクドキドキで、包まれていると言っているようでさえある。

 

Sound of a small love & chu-2 byo story
Sound of a small love & chu-2 byo story

 

違った視点でいえば、こういうのはどうだろう。

映画『Stand by me』を見てあなたは何に思いを馳せた? 

ある子は「ぼくも死体探しの冒険に行ってみたい」 と言い、ある大人は「12歳のあの日は誰にだって特別で輝かしいものだったんだ」 と言うだろう。

そう。ある「なにか」を理解するためには、そのための読解モジュールが必要になってくるのだと思う。

感性に乏しい人は、夕焼け空を見てもなにも感じないように。 小さい頃に『Stand by me』を見てもその郷愁の名残が分からないように。

―――そして、ギャルゲーにもこれは言える。というかここはそういうブログなのでこっち側に還元して語っていく。

その物語の別の面を理解するためには理解するための「部品(module)」が必要なんだ。それはあらゆる知識や概念、感性、感覚、そういうものが必要になってくる。

面白くなんともないと評価を下したそのギャルゲーは、ほんとうに面白くもなんとなもない作品だったんだろうか? もしかしたら自分が気付けないだけで、その物語に埋まっているキラキラしたものはあったんじゃないだろうか?  煌めく原石が、そこに散らばっていた可能性は無かったといえるのか?


それを見つけるための能力。心の部品。 ある事柄から「なにか」を読解するための心の回路―――それを「読解モジュール」と私は名付けてみた。

本記事では、この概念を「獲得」する方法と、「駆動」する方法を考えてみた。んじゃまずは獲得いってみますか。

 

 

読解モジュールを獲得するために

 

モジュールを獲得するには「知識」と「経験」を山ほど積めばいい。本を読み情報を取得し、考え、経験による実感とともに自分のなかでその知の納得感をあげていく。量・質ともに高品質な知識と経験をうずたかく積み上げていくことで、時間の経過とともに馴染んでいき回路が自動的に生成されるだろう。

それがのちに知的愉悦を生み出したり、感性との連結によって感情寄りの快楽にもなり、また読解する目ともなり複数の概念を保有することにつながる。

知識と経験の段階的創発―――それこそが凡庸な風景から"なにか”を掴み取るために必要不可欠な過程だと考える。

読書や対話による知識を得るのもいいと思うけど、旅またそれに準じるくらい大切なものだと思う。おそらく複数人の旅行ではなく一人旅が。

↓詳細な内容はペトロニウスさんの記事を読まれたほうがいいと思われる。わたしはそんなに旅の経験ないので。

 

『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』 ちきりん著 センスオブワンダーが世界をキラキラさせる






 

ちなみに私は複数人・一人の国内旅行は何度かしたことがあるが、海外の1人旅はまだ一度しかしたことがない。機会があればしてみたいな、と思うがこんなことを言っている時点でへたれなのだろう。

そういえば以前に三重県伊勢市に五日間滞在した。お金もないことから移動はほぼ徒歩で、ちょっと奥まった山から神社までもくもくと歩いていた。

三日目にして行きたいと目星をつけていた観光地の消化がすべて終わり、なにもやることがなくなってしまった時があった。 



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(上手に撮れたと思ったんですが水平線がぐらついて不安定な写真になってますね汗)

何もすることがないのでしょうがなく街内をぐるぐる30分ランニングしてみたり、雪の中で野宿してみたり(これは事故)、街道ではなく脇道にそれて寄り道したこともあった。暇だった。今思えば、目的がないときにした行動のほうが面白かったかもしれない。

ある日ふと何気に寄り道した場所は田園風景が広がっていた。 (写真取っていないことをちょっと後悔)

そこは都会では見ることがない、荒涼しつつもなにか荘厳な雰囲気を感じが満ちていた。空は蒼く、太陽はきらきらとし、口に中に含む空気は凛としていた。

人はいなく、建物はなく、家鴨がなぜかいた。 あひるさん。そんな光景を見ながら歩いていると、なんだか妙にうきうきしてしまったのを覚えている。

楽しくなってそのいったいを一時間くらいずっと歩いてみた。そこには立派な建造物も、伝統あるなにかや、伝説なんて何もなかった。自然と民家のみが点在していたが、でも私が三重に旅行したときに1番語りたいのは、いつもここの風景だったりする。

海外旅行だとおそらくこのワクワク感覚が数倍にも膨れ上がるのかなと、推測する。


さて話を戻そう。 

一人旅(海外)をすることで、自分が経験したいじょうの莫大な量の経験・それに伴う知識・そして意識が切り替わる感覚3つを同時に味わえるのかなと思う。

そうした経験が、知識が、感覚が、「なにか」を読解できるための部品の要素になり、意識せずに、無意識で物語を読解できるようになってくるだと考える。

ありきたりでおしきせでどこの誰もが言っている評価なんて気にしないで、自分の中だけで物語の別の面に辿り着ける力。心の部品。読解への意識の切り替わり。 それが可能になってくると、私は思う。

ただ旅はお金も時間もかかる、そう簡単に一人旅はできないので機会があればいろんな所にいきたい。だからこそ、チャレンジする価値があるのかもしれないけどね。

次は自分の中にある「読解モジュール」を駆動させる方法について考えてみようと思う。 

 

ギャルゲを何回も何回も繰り返し読む

 

自分の中にある読解モジュールを駆動させるには、何回も何回も読むこむことで刺激してやればいいと思う。

何度もスイッチを切り替えるように、幾度も燃料を注ぎ込むようにプレイを繰り返す。すると心の回路は駆動しはじめるのではないだろうか。 

 

―――ありきたりな物語の日常から、風景から、"なにか”を掴みとる。

読んで読んで読み続けるのである。
読みよみ
よみよみ

 

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それにはその風景を何回も見ればいいかもしれない。

しかし

自分のアタマで考えて思考しながら読むことでより効果的かもしれない。



何回も何回も同じシーンを視る、セリフを読み込む。いくどもいくども繰り返す。そうすることで、疑問は氷塊し、自分の中である「答え」を見つけられる。物語の風景から、大事なものを手に入れられる。きらきらとした核原石を掴み取れるようになる。読解というのはきっとこういうことだ。

これが出来たとき、ギャルゲをやってて本当に良かったと私は思える。この物語に出会えて本当に良かったとそう感じられる。

それは点数や満足度に依存しないものであり、これは客観的評価とは区別されるべき読解方法だとも思う。自分の中で、自分の為にだけに価値が生まれる読み方。物語の接し方。

ギャルゲはプレイし終わったときにこそ、やっとはじまる。 そして終わる。完了するんだ。

境界線を超えたその先に、意識を切り替えたその向こうにたどり着いたとき、数倍もの「面白さ」がそこには在ると断言してもいい。

 

 

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さてそれではもうすこし具体的な方法を述べてみる。 以下を試せばおそらく"駆動"した感覚を味わえるはず。

 

  1. ギャルゲをプレイし終わったら疑問点を列挙する。 
  2. 疑問に対し、自分一人で考える。 
  3. 考えて考えて考えて自分の答えを出す。 
  4. それを繰り返す。
  5. 数十もの「自分の答え」を吐き出しおわったら、物語の風景にあるキラキラしたものを感じとれるようになる(はず)

 

ここで大事なことは、自分ひとりで、という部分だ。一人で疑問点を出し、考え、答えを出すこと。

自分だけで「なんで? どうして?」→「こういうことだよ」という過程が必要ということ。

誰かの「感想記事」や博識溢れる他の人の意見を見てはいけないし、まずは 自分で 考えて 答えを出さないと意味がない。

なんでかっていうと、"極度の集中状態”を作りたい。誰かの意見を"まず最初”に聞くとその人の意見におんぶにだっこで考えはじめることになる。 誰かが「先に」得た知識を使って考えはじめることは楽だろうし、簡単だ。でも「集中」する状態にもっていきにくくなる。

それが終わったあとに、誰かの感想や意見を聞けばいいし、読めばいいと思う。まずは「自分一人だけ」で取り組むことが大事というお話。

 

けれど、それでも最初に、はじめに、他の人の意見を読んでしまう人がいるかもしれない。

「先に誰かがいっていた意見を、あたかも自分が最初に発見した気になって喜んでいたなんてバカみたいじゃないか」 
「恥をかきたくない」 
「バカだと思われたくない」 
「未熟だなんて思われたくない」と。

 

理解はできるが、ただ他人の評価ばかり気にして誰かにどう見られるかが重要になっているだなんてとてもバカバカしいことだと思うし、別にいいじゃん物語に絶対的な答えなんてないのだから。

誰かのために物語を読んでいるわけじゃないし、他人のためにギャルゲをやっているわけじゃないからそんなに気にしなくてもいいと思う。自分だけの答えさえあれば満たされるものではないだろうか。

 

 

 ▼以下参考記事

 

 

 

上記3つの記事は、私がそういう過程をへて書いた感想記事だ。見る人によっては、稚拙で未熟で凡庸なものかもしれない。 

でも別にそれでいいと思う。

プレイ中、プレイ後、感想記事を書いているとき私は満足だったのだから。

 

 

 一回性の攻略


ちなみにこの読解モジュールを駆動させる方法は、ドーパミンがどばどば出るうえに満足感がとても高くなる。なぜだろう。

おそらく「疑問→答えの」過程を繰り返しているうちに脳が集中しはじめ「意識のずれ」が起きやすくなるかだと踏んでいる。そしてこの意識が"ズレ”た瞬間に、「うおぉっ?!」と唸るくらいの一回性(きらきらした感覚)を味わえるからだろう。

この「意識のずれ」は経験すると病みつきになる。それは多くの人がどこかで経験している感覚。「わくわくドキドキ感」なるものだと思う。年齢を重ねるごとに、この感覚を体験するのは難しくなる。なぜならこの「わくわくドキドキ感」は"はじめて”経験したときに起こるものだからだ。

"はじめて”はいつだって苛烈で激烈なほどの原体験であり、はじめて誰かをぶん殴ったことも、はじめて旅行したことも、はじめて笑ったことも強烈な「きらきら感」であった。はじめてはいつだって、素晴らしいものだ。それはとても面白く、とても納得的で、魅惑的かつ暗示的なのである。
 
だからこの"はじめて”の感覚に近いEUREKA的体験を意図的に引き起こせる、読解方法を私はおすすめする。


とはいえ全部の作品に対してキラキラした感覚、ある「なにか」をつかめ取れるとは限らない。

上記の方法を取ったとしても自身の力量の足り無さゆえに見つからない場合もあるし、私のばあいは『あかね色に染まる坂』なんかは出来なかった。当該作はただのキャラゲーとしか映らず、普通ゲーと評価を下し終えてしまった。そういうこともある。この方法は絶対じゃない。

 

 

まとめ

  

  1. 新たな読解モジュールを獲得するには知識と経験を積み上げるのが有効。読書・対話・旅なんか主なアクションだろうか。

  2. 読解モジュールを駆動させるには何度も読みこめばいい。何度も何度もそのギャルゲを読み、シーンを、セリフを繰り返すことで集中し、そのうち意識がズレはじめる。

 

 

 終。 

 

<参考> 

 

 

猫撫ディストーション
猫撫ディストーション
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ホワイトソフト (2011-02-25)