猫箱ただひとつ

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どうして人を殺すのがいけないのか?(1069文字)

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「どうして人を殺すのがいけないのか?」


単純に困るからだ。



自分が生きていく上で、何よりも困るのが、「殺人」だ。人間はまず「生存」すること一択のみに、絶対の価値を置いている。まずなによりも”生き"ていなければ何も成せない。 


食事、睡眠、交接、愉悦に耽溺することも、快楽に身をやつすことも、欠落した心のモジュールを取り戻すことも、欲も、乾きも全てを満たせなくなる。だから「殺人」を禁止するんだ。

誰か1人の殺人を許してしまえば、最後には巡り巡って自分自身の命さえ危うくなる。それは何よりも困るでしょ?

むかついたら殺される、気に食わないから殺される、お腹が空いていたから殺される―――そんな殺伐した世の中で生きたくはないでしょ?


だから誰一人の例外なく「人を殺害」することを禁じているんだ。それは人間の大勢の総意。大勢は生活の「安定と安寧」を希求する。

大勢の総意は倫理観となる。
倫理観は、善悪という概念を生む。

だから善悪は、時代によって、国によって、集団によって移ろう。移ろい流れていく。流れのまにまに。

絶対値じゃない相対値としての概念。それが「善い」「悪い」という考えになってくる。

人殺しは悪い。

それは法が定める前に、大勢の総意によって決定される。倫理のあとに法がくるパターンだったんじゃないだろうか。よく知らないけどさなんとなくそう思うよ。


そんなことを書いていたら、なんとなく『3days』を思い出してしまった。

 

 

「罪悪感?罪ですって!?」
「ククク……本当にあなたはお馬鹿さんよ…………」

「刑法によってくくられた精神なんて、捨ててしまいなさいよ」

「16世紀のドイツでは、神様を罵ったら死刑になっていたわ」
「6世紀のサリカ法典では、殺人を犯しても大公を殺さない限りは、賠償金で贖うことができた」

「そのおよそ千年後のカロリナ法の時代には死刑」

どう? 罪と罰なんてのは、社会や時代に区切られた一過性のものよ

(3days―月子)

 

そういえば月子はどうしてあんなデンジャランス(真っ赤)な服装をしているんだっけ。 

 

 

なぜ人殺しをしてはいけないのか?ver2 

 

そして違う言い方で、今回の記事を言い表してみます。(コメントで書いたのと同じです)

 

 

 

 

 

私たちはいろいろな人に囲まれています。街を見渡せばどこもかしこも人だらけです。

 

大勢の人間がより集まるから「社会」ができると思っています。これは自動的に、勝手に生まれるものです。

 

大勢の人間が、寄り集まって暮らしている。そうなればルールが必要になります。誰もが自由きままに、自分の欲のままに動いたら社会は止まってしまいます。

 

この「ルール」というのは法律という意味ではありません。マナー、モラル、倫理、道徳、常識、一般、ふつう―――そう言われるものです。

 

これらは「大勢が望んだもの」です。大勢が「人前でおならをしてはいけない」「夜に口笛を吹いてはいけない」ということ”是認"したから「ルール」としての価値を持ち始めます。

 

そこで、もっとも最初に出来あがるルールが「人を殺してはならない」です。殺人を許してしまえば、社会で生きていく大勢は困りますよね。だって自分が死んでしまう「集団生活」に属したくありませんから。

 

自分が困らないために、悲しまないために、死なないために。誰もがそう思います。死んでしまうのは嫌ですもの。

 

そうして「大勢」が「殺人」は嫌だ!! と叫び始めます。すると「ルール」としての価値が生まれ始めます。これが倫理観、道徳観と呼ばれるものだと私は思っています。

 

しかし、倫理観だけでは、殺人を抑止するのはいささか弱いです。なぜならこれは「人の善意」によって成り立っているとても曖昧なシステムだからです。

 

そこで「法律」の出番です。法(=殺人という禁忌)を破ったら、「暴力的手段」で罰せられます。昔だったら一発で死刑。拷問なんてありえたかもしれません。

「倫理」というルールが出来上がったのち、「法律」が出来上がり「人を殺してはいけない」という意識を強固にするんじゃないかなというのが今回の記事の主旨でした。

 

おわり(/・ω・)/にゃ!

 

 ▼過去記事

 

 

 

 <参考>