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輪るピングドラムから考える。なぜ私たちは「何者か」になろうとするんだろうか(2591文字)

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「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」

 

これは『輪るピングドラム』(アニメ)でよく使われていた言葉だ。ぺんぎんの帽子を被った陽毬が、毎度お兄ちゃんたちに向けて――私たちに向けて――放った宣言である。 

1話を見たとき、この言葉を聞く度に、私の心はささくれだった。そして毎回思う、なぜ私は「何者か」にならなくてはと思うのだろうか―――

 

 

 

 

「何者にもなれないお前たち」

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「何者にもなれない私たち」

それは忌避すべき事態であり、嫌悪すべき事柄のように思えた。何者にもなれない、なんて嫌だ。何者かにならなくてはならない。

しかしなぜ、私はそう感じるのだろうか。 どうして"何者かにならなければいけない”と思っていたんだろうか? 

 

 

 

 

 

特別というなの甘美

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「何者かになりたい」というのは、つまるところ「特別になりたい」という願望と同じだ。

周りとは違う人間に、自分だけが持っている何かを掴みとりたいんだろう。それとも、これは「凡人凡俗」な自分に耐えられないゆえの願望なんだろうか?

その答えを探るための問いがある。「特別になって何をしたいんだ?」と自身に問えばいい。 

大勢とは違う何者かになって何がしたい?
なにを成し遂げたい?
そんなふうに問えばいい。

そうすると特別な存在になって何かを成し遂げたい(=目的)がある場合と、特別な存在になりたいだけ(=無目的)な場合と分かれてくる。 

前者は例えば、特別大金持ちになって家族を不自由なく養っていきたいだとか、特別モテて異性とすっぽりずっぽりむふふな体験をしたいだとかそういうのだ。特別になったあとの目的がちゃんとある。

しかし後者は目的がない。特別になりたいだけなんだ。
結局のところ、後者は"特別になってちやほやされたい”だけなんだと思うよ。誰かに認めてもらいための道具の一つにすぎない。「特別になる」という承認欲求の成れの果て。 


―――それはとても甘美だ。

誰かから認められるというだけで、人は明日を生きる原動力に出来るのだから。

 

 

 

なぜ「特別な存在になりたい"だけ”」なのか?

 

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なぜ「特別な存在になりたい"だけ”」なのか? なぜ目的がないのか? 私はこう思うんだよ。それは「他者」がいるせいだからだと。

もし、自分以外の人間が誰一人いなくなった荒野で、最果てで、わたしたちは特別になりたいなんて思うんだろうか?


思わないだろう。

世界にたった一人。ほかは生気に満ちた自然。どろどろとした原命を有した動物たち。それ以外は何もない。

他者がいない世界。他人が消失した空間。そこでは、自身の自我さえ脆くなる。

他人がいるから私たちは「他人とは」違うことをしようと思うんだ。あいつよりは足が早くなりたい、誰かよりこのスキルを上達したい。そうやって技術を学び、練磨し、練度を高めていこうと思える。

それは社会を、文化を、人間を、加速させる一要因にもなりうる。他者がいなければ、自我が存在しなければ、成熟した自我が「個性を持ちたい」と叫び始めなければ、

 

「特別になりたい」だなんて思わない。そんなふうに私は思う。

 

そしていつしか「特別になること」だけが目的となってしまう。特別な存在になって何かをしたい、成し遂げたいという目的がないのはそのためだろう。

でもそれでいいじゃん。特別になりたいだけでいいじゃん。無目的な目的を嫌悪する人もいるだろうけど、いいじゃない。だってどうせ私たちは「きっと何者にもなれないんだから」。

 

 

 

何者になるための道は、茨の道

 

私は「何者になる」という言葉を聞くと、偉業を成し遂げるような人物だったり、歴史に名を刻んだり、神(苦笑)になった人を思い浮かべてしまう。

人によっては、一中企業に入ってとか、家庭を持ったとかそういうのかもしれない。けどそれは「何者になった」というよりは、「幸せになった」だけのことにしか思えないのだ。

「何者かになる」それは世界でたった一人の個体になることを指し示す言葉なんじゃないだろうか。ゆえに誰も成し遂げたことがない偉業を"1人が”成してしまったり。神(苦笑)というたった1つの個体を目指したり。 

たった一人になったとき、人類上の価値が集約され「何者かになった」と呼べるのではないだろうか。と適当言ってみる。

しかし、現実問題、凡人凡俗であるところの大多数である私たちがそんなことを成し遂げられるわけがない。

この白明の事実に、わざわざ異を唱える人はいないだろう。ということでこんなのは諦めていいと私は思うよ。

 

「きっと何者になれないお前たちに告げる」


その言葉を受け止めて、許容して、「何者にもなれない」と諦めてしまっていい。

ごくごくふつうの、ごくごく当たり前の、自分の身の丈にあった生活を、人生を受け止めるほうが楽ちんなんじゃないだろうか。

「何者にもなれない」からって別に不幸せとは限らないしね? ここをイコールで結んじゃうから、心に刺さってしまうんだ。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」―――それは何者にもなれない私たちが受け止めなきゃいけない言葉、なんだと今更ながらにそう思うよ。

 

 

 

まとめ

 

  • 輪るピングドラムの「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」という言葉は心に突き刺さる。 
  • それは「特別になりたい」と希求しつつ、「特別な存在」ではないからだ。 
  • そして目的達成のため「特別な存在」になりたいと求める場合と、目的が「特別な存在」になりたいと望む場合がある。
  • 後者は他者がいるから起きる現象といってもいい。他人がいるから私たちは特別になろうと思う。 
  • でも結局は「何者にもなれない」私たちは、そんなマッチポンプみたいな問題はさっさと諦めちゃっていい。何者になれなくても、不幸せだとは限らないよね。

 

  

おわり

 

はいということで、「なぜ私たちは何者になろうとするんだろうね」でしたー。

輪るピングドラム』のこの言葉にぐさぐさきたのは私だけじゃないはず……っ!! 多くの人がぐさってしまったんじゃないでしょうかふにゃ~。(ぺんぎん1号の愛らしさにうっとりした人もっw)

 

んじゃまたね。

 

 

<参考>

 

 

 

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